世界一周withピースボート

こんにちは。モトです。今日は僕の人生の転機にもなりました、ピースボートについて書きたいと思います。僕は、二十歳で世界一周をしました。 でもこれって、誰でもできます。世界一周って結構簡単です。

ピースボートってご存知ですか。 よく居酒屋のトイレやお店のウィンドウに張ってある、あのポスターです。一見、とても怪しい。情報も夢に溢れすぎています。ピースボートって大丈夫なのかなと思う人が健全です。

当時の僕は若かったということもありますが、行動してみないと分からない、怪しいけど話くらいは聞きに行こうと、ピースボートセンターを訪れました。最初は、とても不安でした。なんというか、その、変な勧誘があるのではないかと。

どんな勧誘があるかは分からないけど、ほら、よく聞くじゃないですか。実際に行ってみればそこには、世界を見たいと、集まった若者たちが多くいて、わいわいがやがやした雰囲気のオフィスでした。

それから3ヶ月後、僕はピースボートに乗船して世界一周をしました。ここでの経験は、僕の価値観を大きく変えるものとなりました。いってみれば、僕にとっての人生の転機です。

ピースボートとは

ピースボートは国際交流団体のNGOです。船の手配やツアーの企画はジャパングレイスという会社が担っています。

実感としては、NGOのピースボートが実現したいことを、ジャパングレイスが現実的に手助けをしているイメージです。この職務の分離によって、NGO、ピースボートのスタッフは、国際交流に全力を尽くせているなと感じます。

寄港地は約20カ国!国際協力活動も体験できる

みなさんは、世界一周クルーズと言われてイメージがつきますか?様々なクルーズがあると思いますが、ピースボートの世界一周クルーズは、基本的に3ヶ月間のものです。(西周り、東周り、または北欧を経由する場合など、航路によって期間が異なります)。

そしてざっくり言うと、2ヶ月間は船上での生活となります。(寄港地は約20カ国で、滞在するのは1〜2日間だけです)

えー、あんまり海外を楽しめそうにないと思った方もいるかもしれません。たぶん、バックパックを一つ持って、ひとりでがつがつで放浪できる人にとっては物足りないかもしれません。

ただ、スエズ運河やパナマ運河を通過するのは、クルーズでしか味わえませんし、世界中の海を見ることができるのも魅力の一つです。またピースボートは寄港地でツアーを提供しています。さきほど書きましたビジャもツアーを通じて訪れました。

ツアーの申込は、自由で、一度も参加しないで世界一周をする人もいます。費用もかかりますが、ツアーはとても充実していますので(国際交流については)ぜひ参加してもらいたいです。僕がツアーに参加したのは、ご覧の通りのものです。

  • 砂漠に築いた町ビジャエルサルバドル
  • パナマの先住民族
  • アフリカ系コロンビア人の集落訪問
  • エジプトで起きた「アラブの春」の幹部の話(今思うとほんとかな笑)
  • カンボジアの地雷除去

ペルーの砂漠に築きあげた町で外国人にインタビューをしてわかったこと

2017年9月14日

先住民族のエンべラ族が住むパナマでインタビューをしてわかったこと

2017年9月16日

黒人集落があるコロンビアで外国人にインタビューをしてわかったこと

2017年9月17日

僕の乗船したクルーズでは、当初、リビアという国が寄港地の一つに予定されていました。しかしながら、直近でカダフィ政権が崩壊してアラブの春が起きてしまったため、急遽、寄港地がサウジアラビアに変更されました。

サウジアラビアという国は、入国するのが大変厳しい国のようで、基本的に観光目的ではビザが降りないようです。ところが、僕らの場合はピースボートで行くことができました。ラッキーだったのか、言いくるめられたのか、今でも分かりませんけど。

僕が行ってきたペルーにある砂漠にできた町

さきほど少し触れましたが、ピースボートは国際交流に力を入れています。ただの世界一周クルーズではないんです。例えば、僕はペルーのリマにあるビジャ・エルサルバドルという町を訪れました。

ここは、都市部の人たちから見ると、スラム街だと認識されています。しかし、ビジャで暮らす人々はそうは感じていません。むしろビジャで生まれ育ってきたことを誇りに感じているように、僕には思えました。

この町はもともと何もなかった砂漠だった場所です。リマに人が溢れ過ぎた40年ほど前に、政府は移民の人々を町から追い出しました。仕事を捜しにきた人々は住む場所を奪われ、仕事はリマにあっても、そこで住むことができない状況でした。

そんな移民の人々が行き着く先は、リマにある砂漠しかなかった。ここからがビジャの人々のたくましいところです。彼らは、砂漠で住む覚悟を決めました。そして、家を建て、水道や電気といったインフラも整備し、人が住める環境を整えました。

やがてビジャに人が集まるようになりました。今では多くの人が住む町となりました。

マフィアに利用された歴史を持つ

しかしながら、この世の中はすべてがうまくいくようになってはいないようです。ビジャはマフィアの隠れ家として利用されてしまったのです。町に、おっかない人が多く出入りするようになり、麻薬も持ち込まれました。

そして容易に想像できるような悲劇がたくさん繰り返されます。名前は思い出せませんが、ひとりの女性が、この町のために闘いました。彼女は、暴力ではなく、ダンスや音楽や演劇といったアートで人々を、ビジャを救おうと考えました。

彼女の活動は、多くの人々の心を動かしましたが、やがてマフィアの手によって命を落としました。そのような激動を生き抜いてきた力強い町がリマにあります。彼女を支持して後にアレナ・エステレスという劇や音楽活動をしている組織がありますので、興味のある方はホームページを観てみて下さい。僕は、実際に彼らの劇を観てきました。

この話はほんの一部でしかありません。今度機会をみつけてビジャについて書きたいと思います。

話がずいぶん長くなってしまいましたが、僕はペルーでこのビジャを訪れるツアーに参加しました。おそらく、ピースボートに乗船しなければ、この町のことは、生涯にわたって知る機会はなかったかもしれないなと思います。

このようにピースボートは国際交流に力を入れており、特に若い人、なかでも学生の方にはとても有意義な体験ができると思います。

忙しい船内生活

船内での生活は、とても忙しいです。毎日イベントだらけで、寝る暇が正直ないくらいです。(寝たくないという気持ちもあります)例えば、日付変更線横断イベント、洋上運動会、夏祭り、紅白歌合戦などです。

これらはピースボートが毎回のように催しているイベントです。ただ、開催されることだけが、決まっていて、内容についてはまったくの白紙です。これを参加者たちでひとつひとつ作り上げて行きます。

運動会でいうと、まず、実行委員会を作って、どんな競技で競うのかを考えます。ダンスなのか、玉入れなのか、という感じで。あくまで洋上なので、できることは限られますが、かなり本格的なイベントです。 洋服の色も揃えて、横断幕や応援グッツも作りました。乗客の9割が参加するイベントなので、世代を超えた交流ができます。

また自分で企画を作ることもできます。例えば、そうですね、太鼓を叩けるようになりたい人サークルとかです。またユニークなものもありで、あなたの大失恋を聞かせてください、とか。

これらはすべて、船内新聞で掲載することができます。船の一日のイベントは、この船内新聞を通じて配信されます。ちょうどテレビ番組表のようになっていて、一時間ごとにイベント内容と場所が掲載されます。

場所は、セミナーホールやステージ、船首デッキなど様々です。イベントは一時間刻みでぎっしり埋まっているので、多くの方は新聞をみて、面白そうなセミナーやイベントに参加しにいきます。

もちろん、ひとりでぼんやりしていてもオッケーです。僕はよく船首のデッキで日光浴をしていました。

乗客はどんな人たち?

声を大にして言いたいのが、あくまで僕が出会った人たちについてですが、ピースボートに乗船した人で誰かの考えを根底から否定したりするような人は、いないということです。

一人ひとりの考え方を尊重する風土がピースボートにはあります。育ってきた環境が異なれば、考え方もおのずと変わってきます。それを受け入れる、受け入れようとする姿勢を僕は強く感じました。そしてその考え方に共感する人々が乗船されているのではないかと思います。

これは宗教的な話ではなくって、実際そのような勧誘も受けたことないですけど、もっとシンプルに言えば、オープンな考え方の人が多いうことです。いろんな人が世の中にはいるよねっていう感じで。そんな人たちが多く乗船されます。

数で言うと、乗客はだいたい1000人くらいのようです。そのうちの1〜2割が20~30代です。20代の人は、学生や社会で3年働いた人が多い気がします。あと28〜32歳くらいの人も多かったです。大半を占めるのが、定年退職された方たちです。お金に余裕があるので、世代が上の方がどうしても多くなってきます。

けれど、ピースボートの世界一周クルーズに乗船するような方々なので、考え方が柔軟で魅力的な人が多くいらっしゃいます。イベントなどを通して仲良くなり、船を降りてからもお会いする方も多くいます。

僕は平凡なサラリーマンをしていますが、会社ではお互いに立場がありますので、世代を越えて深い付き合いをできる機会はかなり少ないと感じます。世代を越えた交流ができることもピースボートならではないでしょうか。

あとがき

僕は、ピースボートに乗船してとても良かったと思っています。国際問題にも関心を寄せるようになりましたし、なにより意識がインターナショナルになりました。英語も好きになりました。

またピースボートに乗ったというと、とても興味をもたれます。これは、職場でも同じです。過去に2度転職してますが、どちらも面接の場でピースボートの話をしました。この経験がとてもユニークだと思われたようです。

世界は広くて、ほんとうにさまざまな人が生きています。ぜひ、若い人に、島の外に飛び出して、世界を見てきてほしいです。それが慰安旅行であれただの観光であれなんであれ。




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ABOUTこの記事をかいた人

ピースボートに乗船して17カ国で400人の外国人にモットーを聞いてまわりました。 旅の醍醐味は人との出会いだと信じています。 村上春樹とパールジャムといぬが好き。走ったり泳いだりしてます。