こんにちは、モトです。
今回はペルー。二カ国目です。
はじめに言っておくと、ペルーではハプニングみたいなことはなかったです。なにせツアーに参加していたので。
どうしてツアーに参加してたの?
僕みたいなタイプの人がツアーに参加するには理由があります。そのツアーがマジで面白そうだったからです。マチュピチュに行くことやナスカの地上絵を見に行くことよりもこのツアーが魅力的でした。
その魅力に溢れたツアー名は、、、
砂漠にできた町ビジャ・エルサルバドル訪問!!
ですよね〜、どこだよそれって感じ。
いやいやこれから先を読んで頂ければ、どうして僕がビジャに惹かれたのか、分かって頂けるはずです。
理由1.砂漠にできた町を見てみたかった
ビジャ・エルサルバドルは、移民たちが一から作り上げた町です。それも元々は砂漠だったというじゃないですか。
首都のリマで仕事をしようと出稼ぎの人たちがアルプス山脈の方から来たそうです。当時、リマは人で溢れていて住む場所がない。それで移民たちはリマから追い出されて、砂漠で生活を始めました。
彼ら自身で水道や電気設備も整えました。
移民たちが住み始めたのは1970年のこと。13年後の1983年の6月に、正式な町として認定されます。それまではスラム街と呼ばれていました。
理由2.アレナエステラスに会ってみたかった
ビジャはマフィアに占領された時期がありました。当時マフィアに対抗する活動をしていたのが、アレナエステラス。
彼らは暴力ではなくて、サーカスやダンスや音楽や演劇といったアートを通じてコミュニティを教育し、マフィアに屈しない町づくりを目指しました。
その指導者は女性のマリア=エレナ・モヤノ。後に、多くの指導者がそうであったように、彼女も暗殺されてしまいます。
アレナエステラスは、若者たちを中心として、今も活動を続けています。
鎌田實さんがビジャ・エルサルバドルに関する記事を書いてます。
ビジャエルサルバドルに到着
普通の町じゃんっていうのが最初の印象。
道路は舗装されているし、お店だって当たり前のようにある。
見た目は普通です。だけどちょっと歩いてみると、異変に気づきます。
ん!?
そうです。この場所は以前砂漠でした。
アレナエステラスに到着
なんかいろいろ説明を受けて、劇をみる。
そのあと公園で、サーカスをみる。
モットーを聞きに歩き回りました
ツアーに参加していたので、あまり自由な時間はなかったのです。
タヒチの時のように町をぶらぶら歩いてインタビューをする形式ではなくって、ツアーの合間でささっとインタビューをしました。お土産屋さんだったり、レストランの定員さんだったり。
ペルーの子どもたちは元気いっぱい
インタビューをしようとぶらついてたら、子どもたちが遊んでいました。
ビジャの子どもたちはお墓のまわりで。
公園にいた子どもたちとは全力でサッカーもしました。
後から日本人の友達も参加してガッツリ走り回りました。
そのあとなんか逆ナンもされまして。
こんな人たちが書いてくれました
ビジャでおあばちゃんに声をかけて、モットーを聞きました。
椅子に座っているおばちゃんです。
実はこのおばちゃん、字が書けません。それで近くで遊んでいた孫の女の子が代筆してくれました。紫色のワンピースを着ている子です。
初めて字が書けない人に会いました。日本では当たり前のことでも一歩島の外を出ると、景色がガラッと変わります。
彼女はお土産さんのおばちゃんです。まだ全然若いと思いますけど。
彼女がなんと書いてくれたよく覚えています。テンションが高くて僕にとっては気の合う人でした。ここでお土産の一つも買わなかったことが心残りです。
トータルで25人ほどに書いてもらいました。
ペルーの人が書いてくれたモットーとは
こんな感じです。
ドン!!
ドドン!!!
ドドドン!!!!
ドドドドドン!!!!!!
やっと読めた!たぶん「Family」って書いてあると思います。
ドドン!!!!!!!!
神様を信じることが大事と書いてますね!
まだまだありますが、多いのでこのへんにしておきます。
ペルー人のモットーで多かったのは、家族、愛、そして神様でした。
ビジャのようなたくましい町に住む人たちも、僕らと考えることは同じようです。
次回は、パナマです。